1880.04.30(Fri)

 私の小さいアメリカ人、その人の名前はアリス・ブリスベインであるが、そのアメリカの友達が10時に訪ねてきて、一緒に出掛けた。私は何よりも先に自分の絵の掛かっているところを見るために、1人で出掛けようと思っていた。それで、非常に神経質になってまずサロンへ出掛けた。失望しないために起こり得べき最悪の場合を想像しながら。けれども私の想像は実現されなかった。と言うのは、まだ私の絵は掛かっていなかったから。私は12時ごろになって、やっとそれをまだかかっていない1000の絵の中に見いだした。しかしそれは外側の画廊にあったが、驚いたことには、ブレスロオの絵もすでにそこにあった。
 あなたが、ウォルフがこの画廊をどんなふうに取り扱っているかを知っていらっしゃるはずです。もっともルノアールやその他の有名な芸術家のものも、ここにあるにはあるけれども。A…の出したのはレオン・セイ(フランスの政治家でかつ経済学者、有名なジャン・バティスト・セイ(底本:「バプチスト・セエ」)の孫/1826-1896)の美しい大きな肖像画である。少しも悪いところはなく、非常に大胆な絵であるが、手が老ロベール・フルリの作品に似ている。もしこの推定が間違っていたならば、神よ私を許して下さい。事実はレオン・セイが首だけを描かせたので、助けてもらうことは用意であったのだ。この肖像画は非常に良い場所を取っている。ブレスロオはどうかと言うに、私と同じ画廊の同じ列に置かれてあるが、彼女は非常に気乗りのしない描き方をしている。少なくとも見て不愉快な絵だと言うことが出来る。それはモンセニュール・ヴィアルの肖像である。私の考えでは、彼女は調子をあまり品良くしようとして、失敗したのである。全体が灰色で、背景が灰色の木の板戸のように見える。礼拝堂の装飾もいすも皆濁った色で、首までも濁っている。
 しかしその首も仕上げ方を変えたならばもう少し良くなったであろう。形は大変良く手の取り扱い方もしっかりしている。そのほかの生徒についてはいちいち書く必要もない。
 バスティアン・ルパージュの絵は一目見ると空虚な外気のような効果を与える。──ジャンヌ・ダルクが、真のジャンヌ・ダルクが、百姓の娘のジャンヌ・ダルクが、1本のリンゴの木にもたれかかって、左手にその枝を持ち(その手も腕も完全なものである)、右の腕は体に沿って垂れているが、それが非常に見事に出来ている。頭は後ろに反らし、首は前に張って、目は何物をも見ていない──透明な驚くべき目は。首の効果は幻惑的である。それは幻想に悩まされている百姓の娘、野の子である。背景の家を囲んだ果樹園は自然そのものである。しかし透視法が完全でないと思う。背景が前の方へ押し出してきて、形を妨害している。形そのものは崇高で、私に非常に強い感動を与え、今これを書きながらも私は涙を抑えているほどである。
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バスティアン・ルパージュ作「ジャンヌ・ダルク」

 トニーの天井絵は非常に美しくできていて、私を喜ばせた。
 これらが主なものであった。さて私たちは朝飯が済むとすぐ皆して一緒にサロンを見に行くはずであった。──少なくとも私だけはそう思っていた。ところが、叔母は教会へ行った。母も行くと言い出した。母は私が驚いて怒って難しい顔をしているのを見ると、私と一緒に行こうと言い出した。彼らを怒らせるのは私のつつましい地位であるかどうかは知らぬ。けれどもそれが理由ではなくて、こんな家族を持つということが実際に苦しい思いなのである。最後に母は、自分の冷淡──何と言って良いか私には分からない──を恥ずかしく思って、行こうと言い出した。それで私たち3人は──ヂナと彼女と私と──サロンで、まずアトリエの人たち皆に出会い、次に知り合いの人たちに出会い、最後にジュリアンに出会った。
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by bashkirtseff | 2009-01-15 14:21 | 1880(21歳)
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