1880.03.24(Wed)

 トニーが来たが、私の絵には手を出さなかった。私たちは6時になってもまだ話していた。
 ──サロンには無論これよりも20倍も劣ったものがたくさんあるでしょう。トニーは言った。しかし絶対の確実というものはありません。なぜと言うに、審査員は気の毒にも1日に600枚からの絵を見なければならないのです。それで時々は虫の居どころが悪いとかんしゃくを起こして不合格にしてしまうことがあります。でもあなたはこれを自分で良いと思っていますし、それだけ効果もあれば、調子も愉快に出来ています。それにルフェーヴルも、ロオランも、ボナも、皆私の友達です。
 このトニーという人は何という愛想の良い人だろう! それに彼は幸福でないと思うから、なおさら私は彼が好きである。彼の父親の名前と彼の若い時の才能が1870年彼に名誉の賞牌を与えた。それ以来、少しずつ忘れられて、すべてのものが消えてしまって、彼は1人の敵を作った。その敵は「フィガロ」のウォルフを動かし、その恐ろしい雑誌記者を彼に対抗させた。その上彼は自分のラッパをどうして吹いたらよいかを知らぬ。それでコットのような人たちが大きな肖像画を塗りたくって、高い金を取っている時でも、彼は金は入らないで満足だけ得られる小さな絵を描いている。
 この善良なトニーは私にまじめな親切な励ましを与えてくれた。
 私には「多分の才能」が心掛けひとつではあるはずだと彼は言う。ただしそう言ったからと言って、母の思っているように、それを私がすでに持っているというのではない。「多分の才能」とは彼自らの持っているところのものである。ボナの、カロリュスの、バスティアンの持っているところのものである。
 私は真剣に勉強して、家で胴体を絵の具で描いて、良く肖像画の描けるようにならねばならぬ。私は絵のことよりほか何にも考えないで、それに全心をささげねばならぬ。
 女の中では、ブレスロオと私を除けば裸体を完全に理解するものは1人もない。一般に美術家の中でも彼女と私ほどに裸体を写生しうる者はあまりない。実際、私が2年間勉強したあとで18日でこれを仕上げたのは驚くべきことである。しかし私はこんな結果で、「こんな満足なしで」安んじてはいられない。
 ムッシュ、これは私の力じゃありません。
 彼もそのことは良く知っていた。けれども私はこんな影響を受けることをば避けて、さらに高く上を向いてまじめに進んでいかねばならぬ。私は何でも自分の望むものに到達しうる。天才は得られないが、才能は得られる。私は勉強せねばならぬ。そうして人のお世辞に信を置いてはならぬ。彼よりほかに本当のことを言ってくれる人は誰もない。
 ──でも、ムッシュ、あなたがそれと違ったことをおっしゃったなら私はどうして良いか分からなくなります。
 とにかく私は熱心に仕事をしなければならぬ。そうしたならきっと目的を達するであろう!
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by bashkirtseff | 2009-01-10 13:26 | 1880(21歳)
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