1879.11.25(Wed)

 私たちはドミニコ僧院に教父ディドンを訪ねた。教父ディドン(当時39歳の有名なドミニコ派の説教者で、イゼールのトゥヴェ(底本:「ツウヴェット」)に生まれた人である/底本:「ヂドン」)は最近2年間ことに有名になった説教者で、パリ中が今ではそのうわさをしている人であることを、あなたにお断りする必要もありますまい。私たちは訪問を前もって知らせておいた。私たちが着くと皆が彼を呼びに行ってくれた。私たちは机が1つといすが3つと小さい気の利いた暖炉が1つあるぎらぎら光る応接室で彼を待ち受けた。私は昨日彼の肖像画を見て、見事な目をした人であることを知っていた。
 彼は出てきたが、非常に愉快そうな顔つきをして、極めて世慣れた人らしく、白の毛織りの着物を着ているのが大層美しく見えた。その着物はいつか私が着ていた着物を思い出した。彼の頭は丸刈りの点を除けばカサニャック(ジェール(底本:「ゼルス」)からパリへ出て有名になった新聞記者/1806-1880/底本:「カサニャク」)のような格好であるが、ただし彼よりもさらに光っている。そうして目もさらに明るく、態度も上品でさらに自然である。顔はすでに荒れかけているが、口の辺りはカサニャックと同じような不愉快な曲がったところがある。けれども、非常に特殊な風采をしておって、極端な ereole〔植民地のフランス種〕の感じなどは少しもなく、首は真っすぐで、手は白くて美しく、快活な面白そうな人物である。彼が口ひげを生やしているところをあなたは見たいと思うでしょう。
 非常に確信があって、そのくせ非常に用意されたる機知を持っている。誰にでも良く分かるが、彼は自分の人気のどのくらいまで広がっているかを知っており、また人から尊敬を受けることにも慣れており、自分の周囲に起こる感動を心から喜んでいる。教母Mから前もって手紙で彼に珍しいものが見られるだろうと知らせてやった。それで私たちは彼の肖像を描かせてもらいたいということを話しだした。
 彼は拒まなかったが、若い婦人に教父ディドンの肖像を描くなどは困難なことでほとんど不可能だろうと言った。それほど彼は有名で、人に追い回されている。
 しかしそれが理由なのである。……私は彼の熱心な賛美者として紹介された。本当を言うと、私はこれまで彼を見たこともなければ、彼の話を聞いたこともなかった。けれども私は彼を今見る通りに想像していた。声の音調が普通の談話においてもなぜさせるような調子から恐ろしい爆発にまで変化した。私の感じているのは肖像画である。もしそれが約束できれば私は非常に幸運な人間になれるだろう。彼は私たちを訪ねてくると約束した。私はちょっとの間彼が約束を守らないでくれれば良いと思った。しかしそれはつまらない間違った考えであった。彼が座ってくれることを今私はどんなに希望しているだろう。大望ある芸術家としてはこれ以上に都合の良いことは世界中にないだろう。
[PR]
by bashkirtseff | 2009-01-05 12:33 | 1879(20歳)
<< 1879.11.26(Thu) 1879.11.24(Tue) >>