1879.09.17(Wed)──パリ

 今日は水曜日である。幸運の日である。17日はさらに幸運の日で、その日に私は今彫刻を始めようとしている。私は仕事場のことについていろいろと調べてみた。
 ロベール・フルリが昨日学校へ来た。あまり直されるところはなかったので、彼は私にいろいろと忠告を与えて、私は構図、線、似ることなどには特長があるが、これまで欠点となっていた一面を勉強したらどうだと言ってくれた。
 それで、今私は絵を描く代わりに、ガスの光で塑像をこね上げている。私が色を無視しないことはあなたにはお分かりでしょう。なぜと言うに、日中私は絵の具で描いている。そうして日が暮れるとすぐ塑像にかかる。これはもう確定したのであるか? そうです、確定したのです。私はアマンダ(強壮なスウェーデン人)と散歩に出ると、彼女はトニー(昨日私に非常に親切であった)を訪問して生徒たちのうわさをしたことを私に話した。トニーは、A…はいつまでも線と構図でうまくいかないだろうと言ったそうである。実際彼女は飛んだ絵を制作する。膨れた頭とか曲がった目とかいったようなものを。次にブレスロオについては、十分の進歩をしていないとトニーは言った。するとジュリアンは、彼女の才能は忍耐そのものだと付け加えた。エンマは利口ではあるが怠け者で、かつ開けない考えを持っている。それから私は非常に才能があって、同時に熱心で、勉強家で、まじめで、驚くべき急速の進歩をなして、非常に良い線を出すと言われた。要するに「賛辞の合奏」であったそうだ。それならば本当に相違あるまい、ほかの人に言ったことであるから? とにかくそれを聞いて私は勇気が出た。私はまだまだ勉強して、うまくなろうと思う。
 私は田舎へ行きたい。木や草の茂った、例えばシュランゲンバードのような、あるいはゾーデンのような、ただしあの退屈なむき出しなディエップなぞとは違った、本当の田舎へ行きたい。皆は私が田舎を好まないと言う。私はロシアの田舎は好まない。けれども木や新鮮な空気は非常に好きである。どこか青々とした香気の良いところなら2週間ばかりも過ごしてみたいと思う。私はローマへ行きたくてならない。けれどもローマのことはなるたけ言わないようにしている。この日記の中でも。このことを思うと興奮するから、そうして私は静かにしていたいのだから。
 私が田舎生活のことを思い付いたのはテュイルリー公園を横切っているときであった。けれどもどうしたなら私はそれに耐えられるだろう? 私は田舎は好きであるが、むき出しの吹きさらしの海岸は嫌いである。……しかし2週間も私の家族と一緒にスイスに行っていたなら、たまらなく退屈になるだろう。うるさいこと、言い訳のしくら、それからあらゆる家事上の何やかやと。
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by bashkirtseff | 2008-12-23 12:49 | 1879(20歳)
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