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1879.06.23(Mon)

 私はあの恐ろしい事件のためにまだ悲しんでいる。世間はその打撃からいくらか回復して、あの不幸な青年はいかなる不注意のために恋人の手に取り残されたのだろうと疑うようになってきた。
 イギリスの新聞は皇太子の同伴者の憶病を惜しんでいる。取るにも取らぬ私は、ただ息をあえいで、その痛ましい記事を読みながら涙が目にいっぱいになる。私はこれほど気の転倒したことはない。そうして終日泣くまいと思う努力が私を圧迫する!
 皇后が昨夜死んだという評判がある。けれどもどの新聞もこの恐ろしいしかし慰めとなるうわさを承認するものはない。私はこの罪悪を、この不幸を、この不名誉な出来事を防ぐことは、どんなに容易なことであっただろうと思う。腹立たしくてならぬ。当惑した顔が市街では幾つも見られる。新聞売りの女の中には泣いている者さえある。私も泣いている。自分では訳が分からないけれども。私はクレープを着て本当の喪に服したくなった。そうしたら自分の心持ちにそぐうであろうから。
 あなたにどんな関係があるのですか? 人が私に聞くだろう。私は知らない。ただ悲しくてたまらないのである。
 ここには誰もいない。私は自分の部屋に閉じこもっている。私は一役をも演じないで済むだろう。だからばかばかしいけれども泣くのである。なぜばかばかしいかと言うに、泣くと目が弱くなるから。私はその結果を今朝仕事にかかった時に感じた。けれども私は皇太子の死に伴う致命的な真に戦慄すべき状態、及び彼の同伴者の憶病な態度を思うと、じっとしていられなくなる。
 避けようと思えば容易に避けられたはずであったのだ!
by bashkirtseff | 2008-12-20 13:40 | 1879(20歳)
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