1879.06.21(Sat)

 私はほとんど5、6時間泣き続けた。昨夜は疲れ果てて寝てしまった。
 私たちは2人のロシア人、すなわち皇帝の侍従なるアビギンクとセヴァスチアノスと、それからチュウマコフとボジダルと一緒に食事をした。けれども私は何者でもなかった。私の懐疑的な嘲弄的な機知は去ってしまった。私は何度も身内のものを亡くしたこともあれば、その他の煩わしさに出会ったこともあった。けれども今度亡くなった人(ナポレオン3世の息子、ウジェーヌ(底本:「ユゼエヌ」)・ルイ・ジャン・ジョゼフ/1856-1879)ほどにその死を悲しんだことは1度もなかった。それが私を感動させるのではなく、むしろ喜ばせるのは全く意外である。
 昨日12時ごろ私がアトリエから帰ろうとしていると、ジュリアンが通話管で女中を呼んだ。女中はそれを耳に当てると、すぐ私たちの方を向いて興奮した調子で言った。
 ──皆さん、ムッシュ・ジュリアンのお言付けですが、皇太子がお亡くなりになったそうでございます。
 私は思わず声を立てて、石炭箱に腰を下ろした。そうして皆して話し合っていると、ロザリは言った。
 ──すみませんが、ちょっとお静かに願います。これは公報なのですよ。今電報が届いたばかりだそうでございます。何でもズールー人に殺されたのだとムッシュ・ジュリアンはおっしゃっていられます。
 このうわさはもう広がりかけていた。やがて「レスタフェト」を持ってきたから読んでみると、肉太な字で「皇太子薨去(こうきょ)」としてあった。それがどのくらいの打撃であったかを私はあなたにお話しすることは出来ません。
 その上、人はどちらの党派に属するにしても、またフランス人であるにしても外国人であるにしても、世間並みの驚きを感じないでいることは不可能である。
 この驚くべき早世(皇太子はイギリスへ逃れてイギリス軍へ加わってズールー人討伐に従軍して戦死した/23歳)は聞いても恐ろしくなる。
 しかし私は新聞の言わないことをあなたにお話ししようと思う。──と言うのは、イギリス人は憶病者で人殺しだと言うことである。この死については不可思議な点がある。底を割ってみると、幾つかの陰謀や罪悪が潜んでいるに相違ない。一党の希望をつないでいる王子が危険にさらされて良いものであろうか? ──しかもただ1人きりの息子が? ……否、私はその母親の心を思って悲しまないようなものは獣と言えどもないだろうと思う。1番恐ろしい不幸、1番残酷な損失でも常に何物かを残すものである。慰めと希望の一道の光明を残すものである。……けれども今度の場合は何物も残されていない。これほどの悲しみはないと言っても、決して過言ではない。彼が行ったのは彼女のせいであった。彼女は彼を苦しめ彼を悩ました。彼女は1カ月500フランきり彼に与えなかった。それで彼の生活は惨めになった。彼は母親と仲が悪かった。
 あなたにはこのことの恐ろしさが分かりますか? あなたには彼女の心持ちが分かりますか?
 彼女と同じくらいに惨めな母親はいくらもあるでしょう。けれども彼女ほどに打撃を感じた人は1人もいないでしょう。なぜと言うに、その苦しみはこの死のために生じた騒ぎと同情とさらにのろいとに比例してその何100万倍も大きくなっていますから。
 この出来事を彼女に取り次ぐ人間はむしろ彼女を殺した方がまだしもだと思ったであろう。
 私はアトリエに行って、ロベール・フルリに大層褒められた。けれどもすすり泣くために家へ戻ってきた。それから後でマダム・Gの家に行くと、下は差配人から皆が悲しんで赤い目をしていた。
 ムッシュ・ルーエーは半時間も黙り込んでいた。私たちはもう良いのかと思ったらば、彼は止めどなく泣きだした。マダム・ルーエーはその夜中間欠的にヒステリーの症状を来して、夫が死んだら自分も死ぬと言って泣いた。
 マダム・Gは彼女を遮って、決定的に言う。──本当にこんな時にはヒステリックにならぬようにしなけりゃいけませんよ。……全く困ってしまいますからね。彼女は真剣にそう付け加えて言った。
 私は彼らに誤解されると思ったから涙を抑えていた。けれどもマダム・Gが喪服を着た婦人たちに話しかけてマダム・ルーエーがその知らせを聞くとあおむけに平たく倒れてしまったと言っているのを聞いた時は微笑しないでいられなかった。喪服は6カ月間着けることになった。「私たちはきっと今に嫌になってしまいますよ。でもはなのうちはね! ……」
 イギリス人はボナパルト家の人たちに対して常に恐るべきことをした。しかるにボナパルト家の人たちは愚かにも常にその卑しむべきイギリスへ出掛けるのであった。私はどこまでもイギリスが嫌いである。私たちは小説を読んでさえ非常に熱心になったり涙ぐましくなったりしないであろうか。いわんやこの恐ろしい終末に対して、この戦慄すべき忌むべき傷心の死に対して、私たちは心の底まで動かされないでいられるだろうか! すぐに私はCがゼロオム家に味方するようになるだろうと思い付いた。そうして実際その通りであった。
 要するに、全党皆顧みられないでいる。彼らは外観上だけでも王子を1人欲しいと思っている。私は彼らが団結するだろうと思う。彼らの中でも1番妥協の出来ないものは共和党になってしまうであろう。しかしその他の者はいつまでも何かの陰影を担いでいるであろう。しかし誰に分かるだろう? ローマの王が死んだ時、すべては結末になったと考えられなかったであろうか?
 死ぬ? しかもこんな場合に! 23歳で死ぬ、しかも野蛮人に殺されて、イギリス人のために戦って!!
 私には彼のもっとも残酷な敵でも心の中は一種の後悔を感じているだろうと思われる。
 私はすべての新聞を読んでみた。失敬な新聞までも。そうしてそれらを涙で洗った。
 もし私がフランスに生まれて、男であって、ボナパルト党員であったとしても、恐らくこれ以上に感動させられ、これ以上に憤慨させられ、これ以上に当惑させられることはないだろう。この子どもがげすな過激新聞の下等な嘲笑で葬り去られたり、彼が野蛮人に襲われて殺されたりしたことを考えてみるとたまらない。
 彼は声を立てたに相違ない。助けを求める絶望的な叫びと、苦しみと、頼りなさの恐怖の叫びとを。恐ろしい知らぬ土地の片ほとりで、見捨てられて、ほとんど裏切られて死ぬとは!
 しかしなぜ1人きりだったのだろう、しかもイギリス軍がありながら!
 そうして母親さえありながら!
 イギリスの新聞は偵察区域には危険はなかったなどと言い訳をしてひきょうである。そんな国で野蛮な敵を相手にする小団体に安全があるだろうか?
 これを信ずる者はばかか白痴でなければならぬ。しかし詳報を読んでみなさい。彼は3日間そこに取り残されてあった。そうして皇太子のいないことに気がついた時はもう間に合わなかったとカレエは報告している。
 彼はズールー人を見るとほかの者どもと一緒に逃げ出したのだ。皇太子のことをば構わないで。
 それが彼らの新聞に出ているのを見ると嫌になってしまう。そうしてその国民がまだ滅びないで彼らのろくでなしの島から、あの冷たい野蛮な不真実な不名誉な住民が尽きていないと考えると、嫌になってしまう! おお! これがロシアのことであったなら、私たちの兵士たちは最後の1人まで皆自分を犠牲にしたであろうに!
 しかるにあの悪党どもは彼を見捨て彼を裏切った!
 まあ詳報を読んで、これほどの不名誉とひきょうな仕打ちに対してあなたは心を動かされないかどうかを試してみなさい!
 中尉カレエは絞首されないで済むだろうか!
 母親、皇后、気の毒な皇后! 何もかも結末がついて、失われて、滅びてしまった! 残っているものは黒い着物を着た1人の気の毒な母親だけとなった。
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by bashkirtseff | 2008-12-19 15:58 | 1879(20歳)
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