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1884.10.20(Mon)

 天気が優れて良いにもかかわらず、バスティアン・ルパージュはボアへは行かないでここへ来る。彼はほとんどもう歩くことも出来ない。彼の弟は彼を両腕の下から支えて、ほとんど担ぐようにして彼を連れてくる。
 そうして、やっと安楽椅子にかけると、その気の毒な子供は疲れ切ってしまう。私たちの惨めさよ! それに、大勢の門番どもはなんと健康に暮らしていることよ! エミルは立派な弟である。ジュールを背負って彼らの4階まで登ったり降りたりするのは彼である。私はどうかと言うに、私もそうした献身をヂナから受けている。──この2日間私の床は客間に移された。でも部屋が非常に広くて、衝立や、大椅子や、ピアノで仕切られてあるから、外からは見えない。私には階段を登るのが困難である。


      *
〔日記はここで切れている。──マリ・バシュキルツェフはそれから11日後の、1884年10月31日に死んだ。──そうしてジュール・バスティアン・ルパージュはさらに40日後の12月10日に死んだ。〕
# by bashkirtseff | 2012-05-19 20:57 | 1884(25歳)

1884.10.19(Sun)

 トニーとジュリアンが晩餐を共にする。
# by bashkirtseff | 2012-05-19 20:54 | 1884(25歳)

1884.10.18(Sat)

 バスティアン・ルパージュは毎日のように来る。彼の母が戻ってきた。そうして彼らは3人して来る。
 ポオテエンが昨日来た。私は良くない。
# by bashkirtseff | 2012-05-19 20:53 | 1884(25歳)

1884.10.16(Thu)

 私はひどく熱があって疲れてしまった。私は一日中客間で、安楽椅子から長椅子へと移り変わりながら過ごす。
 ヂナが私に小説を読んでくれる。ポオテエンが昨日来た。また明日来るだろう。この男はもうお金を必要としない。それでもし彼が足繁く来るとすれば、それは彼が私に少しく興味を持ってきているからだ。
 私はもうまるっきり外出が出来ない。しかし気の毒なバスティアン・ルパージュは外出する。彼はここまで運ばれてきて、クッションの上に両足を伸ばして、安楽椅子にかける。私は、そのすぐそばの今ひとつの安楽椅子にかける。そうして6時までもそうしている。
 私はレースとフラシ天のついたフッイイを着ていた。それはすっかり白であるが、様々の異なった白で出来ている。バスティアン・ルパージュの目はそれを見てうれしそうに見張った。
 ──おお! 私に描くことが出来たら! 彼は言う。
 そうして私も!
 もうだめ、今年の絵は!
# by bashkirtseff | 2012-05-19 20:52 | 1884(25歳)

1884.10.12(Sun)

 私は外出することが出来なかった。私は全くの病人である、伏せりはしないけれども。
 医者はポオテエンの来診以来、副ポオテエンを隔日に寄越している。
 おお! 私の神よ、私の神よ。そうして私の絵、私の絵、私の絵!
 ジュリアンが私を見舞いに来た。誰かが私の悪いことを言ったのだろう。
 ああ! どうして隠そう! またどうしてバスティアン・ルパージュのところへは行ったものだろう?
# by bashkirtseff | 2012-05-19 20:49 | 1884(25歳)