若きロシュグロスの大作について非常な人気である。
アンドロマク(ヘクトルの妻)の子どものアスチアナスが彼女から引き離されて、城壁から投げ落とされようとするところである。 それは独創的でかつ近代的な古い題材である。 彼は誰のまねもしなければ、誰からも刺激を受けない。色と筆触は並ぶものもない力である。現代においてこれだけのものが描ける人はほかに一人もない。それだけでなく、彼はムッシュ・テオドール・ド・バンヴィル(フランスの抒情詩人で機知を持って鳴った人/1823-1891)の女婿である。 要するにこのわずかなことにもかかわらず、彼は豊かな才分を持っている。彼はまだわずかに24歳で、今度が2度目の発表である。 それは──構図も、線も、色も、並ぶものなき熱情に満ちているごとく思われる。 彼の才能は彼の名前に相当している。まあ、聞いてご覧なさい。ロシュグロス、ジョルジュ・ロシュグロス。それは雷のとどろきのような響きを持っている。 そうして牧歌的なバスティアン・ルパージュの次にジョルジュ・ロシュグロスが急流のごとく出現した。もう少し後になれば彼の才能が一層緊張した形になって、彼がバスティアン・ルパージュのごとく感情の精髄と真理を追究するようになるだろうということは可能である。 そうして私は? ……私の名前は何を表すか? Marie Bashkirtseff ……私はこれを変えたく思う。なぜと言うに。この名前は奇怪な憂苦に満ちた響きを持っているから。もっとも、光輝の望みはないわけではないけれども。それはどことなく高慢で、活気に満ちたような調子をさえ持っている。けれどもそれはせせこましくて落ち着きがない。──トニー・ロベール・フルリは、石碑のごとく冷たい名前である。そうして Bonnat(ボンナ)は? それは正確で力強く響く。けれどもそれは短くて光沢がない。マネは未成品のような響きを持って、50になっても前途ある生徒のようである。ブレスロオは透明で、平静で、力強くある。サン・マルソーはバシュキルツェフと同じように非常に神経質に響く。が憂苦はより少なく思われる。アンネは神秘的で、平静で、古代のような優雅な響きを持っている。…… カロリュス・デュランは1つの嫌悪である。ダニャンは微妙で、細緻で、聡明で温和で力強いが、それ以外のものはあまり持っていない。──サージェントは人をして彼の絵を思わしめる。偽物のヴェラスケスと、偽物のカロリュスと、ヴェラスケスの方がより少なく、そうしてかえって結構である。
by bashkirtseff
| 2010-07-15 07:57
| 1883(24歳)
|
ファン申請 |
||